二台の衝立と壁でつくった三角の外、煮出し中の生姜湯を見張っている乱太郎がいる方と反対側の衝立の向こうで、密やかなくしゃみの声がした。
抑えようとして間に合わず、どうにか最小限に堪えたくしゃみだ。
こっそり忍び寄って来た誰かが聞き耳をたてている。三木ヱ門と留三郎は素早く目を見交わした。
「命婦のおとどって、枕でしたっけ」
口の前で人差し指を立てた三木ヱ門が横目をしながら、気楽そうな雑談口調で話を繋ぐ。
「そう。帝の寵愛一方ならぬ、上にさぶらう五位の御猫」
同じように衝立の外の気配に注意を尖らせ、留三郎も調子を合わせる。
「あの段はどうにも犬の翁丸が可哀想で、好きではないです。"飛びかかれ"が冗談かどうかなんて、犬には関係ありませんもの」
「あー。犬は悪くないよな、あれ。乳母の命令を聞いただけなのに」
「よく命令を聞くのが良い犬です。利口なのが裏目に出てしまったんでしょう」
そろりと腕を上げて留三郎が背にした衝立を指し、それからその指を下へ向ける。衝立の台脚と床の隙間に忍び足袋を履いた足が見え、音を立てぬようすり足でゆっくりと動くのが見えた。それを目の端で捉えつつ留三郎が言う。
「犬も賢いが、猿も賢い。鍵の使い方くらいは仕込めば覚えると言うぜ」
足がぴたりと止まる。
「そう言えば、猿引が連れている猿はびっくりするほど芸達者ですね」
「紀伊には犬の背に乗って散歩する小猿がいるって話だ」
「"犬猿の仲"って言うくらいなのに?」
本気で少し驚いて思わず尋ね返すと、留三郎は「そこを突っ込むか」という顔をした。
「文次郎と俺よりは相性がいいんだろ」
「……どちらが犬で、どちらが猿?」
三木ヱ門の呟きにプッと吹き出す。無論、留三郎ではない。
「結構言うなぁ、お前」
「ええまあ。それなりに図太くないとやっていけませんのでっ」
スッと身を低めた留三郎の頭上を飛び越した三木ヱ門は、重い衝立を一息に蹴り倒した。
「わあぁっ」
がらがらがっちゃんと騒々しい音と短い悲鳴をもろとも巻き込んで、曲者と衝立が床に転がった。