もーのーすーごーくー久々に
「小話」戯話を更新しました。
日常←→非日常やら安心←→不安やら本心←→演技やらが交錯する座標軸上で「鉢屋三郎」の位置を見失いかけている三郎は、任務先でなにか嫌なことがあったらしい。
雷蔵三郎の二人が長屋で同室の描写は原作にはなかった筈なのでそこは捏造です。
前回の通常更新が半年前の5/1という事実に衝撃を受けました。
書きかけフォルダに中途半端なブツが溜まる一方なのはまだしも、ネタ帳テキストに今となっては意味不明な一語が残ってたりして何が何だか。「底抜け永久機関」はたぶん小平太のことで、「エトピリカ ゆめぴりか くちばし」で何を書くつもりだったんだ。
以下は蛇足の解説と鉢屋三郎感をちょぼちょぼと。
原作で三郎が出て来る巻を最初に読んだ時、
承認欲求てな概念から「いつも他人に変装していて自我が崩壊しないんだろうか」と少々怖い感想を持ちました。
自発的な愉快犯でも「自分は"鉢屋三郎"であるが、他人からは"鉢屋三郎"と認識されない」状況って、「他人にとって"鉢屋三郎"という人間は存在しない」とも言い換えられる訳で、現実でこんな状態に置かれた人間は相当メンタルが図太くてもそう長いこと耐えられないと思う。
普段の三郎は平気にしてますが、精神的に追い詰められた時なんかに「あれ? 俺誰だっけ?」って錯乱したりしないのかなと。あれでまだ14歳ですから。
当サイトの三郎は、他の五・六年生がトラブルシューターな一方でトラブルメーカー寄りのポジションにいる、基本楽観的で打たれ強い面白がりのいたずら者 でもたまに打たれた所にヒビが入る なイメージです。
万事スマートでソツがなくて余裕綽々な三郎は うちには おらぬ。
なんてことない会話や授業の話、「こういう予定になってるよ」と自分の立ち位置が将来の中に確保されていると知ること、あるいはもっと単純に友達の声を聞くこと等、他愛ない日常の風景に浸かることで段々と「鉢屋三郎」を取り戻しつつ、自分の名前を呼ばれるのは一番簡単な他人からの承認だから、今回の三郎はそれを雷蔵に懇願することで自分を確定したがっています。
そんな程度に弱ってます珍しく。
次の日になったらケロッとしてご飯食べてます。
ここまでグダグダ書いて思ったんですが、原作の巻数が進んで「(変な)変装をしているのは三郎に違いない」とみんなが確信している現状は、一周回って周り中から「あそこに鉢屋三郎がいる」と認識されてることになるのか。