廊下の穴をそおっと覗いてみると、既に八左ヱ門の姿はない。本物の八左ヱ門か中身は三郎なのか分からないが、とりあえず逃げおおせたようだ。
「あの状況で」
ぱちんとひとつ瞬きをして、固まっていた左門が喋り出した。
「敬語を使っているのだから、追手は六年生か先生かお客さんの忍者ですね」
「だな」
等間隔で叩き込まれた石つぶての跡を見遣り、三木ヱ門も同意する。狙いと角度と力加減が絶妙に噛み合った見事な投擲だ。
それも忍術です! と攻撃者に向かって叫んだ声は必死の抗弁に聞こえたが、どこか開き直ったような感じも混ざっていた、ような気がする。……用具委員会との勝負にあたって保健委員長からこっそり体力増強剤の支援を受けていたと思しき生物委員会の委員長代理が、逃げ惑いつつも居直った、という状況だとすると。
「あー、止め止め」
考え始めるとまた厄介事の種が増えそうだ。声に出して埒もない思考を打ち切り、左門に結び付けた縄を引く。
「お前の部屋に帰るぞ。……急に駆け出して縄を千切るなよ」
「はい」
今日は作兵衛に捜索の手間を取らせまいとよほど固く決心しているのか、神妙な様子で左門が頷く。
いつもこんなに素直ならどれだけ扱いやすいことか、と三木ヱ門が思わず唸った時、どたばた騒ぎに気付いたらしく廊下を走ってくる足音が入り乱れた。
「今、誰かが屋根の上を走って行ったけど、何かあったんですか?」
書き取りドリルを小脇に抱えて後ろから駆けて来たのは団蔵だ。教室かどこかで字の練習をしていたのか、右手の側面に墨をこすったあとがついている。
「さっきのドカーンて音、何……うわ! なんだこの穴!」
廊下の角からひょいと顔を覗かせたのは、作兵衛だった。
小平太がぶち抜いた廊下の大穴に目を留めて顔をしかめ、その視線がつと穴の近くに立っていた紫色の袴の脚を辿り、三木ヱ門の顔の上まで滑ってそこで凍った。
くるり、と反転する。
「ストーップ!!」
梁や柱がびいんと鳴るほどの三木ヱ門の一喝に、作兵衛だけでなく左門と団蔵まで動きかけた格好のままぴたりと停止した。