タイトルのフレーズが先日から頭を離れないんですがどうしたらいいでしょう。
今更クリスマス小話をアップしました。
カレンダーに追われて日々日付を意識しながら仕事してるはずなのに、何故かクリスマスはまだ当分先という感覚だった……。
構成要素はこんな感じです。
『
クアトロ・ラガッツィ』を読んだ時の主な感想「キリシタン面倒くさっ」
+史実のクリスマス停戦(1566年、松永久秀vs三好三人衆)
+太宰治の『葉』(ただし粗筋さえ読んだことなし)
+個人的オニタケ忍者観
=クリスマス要素が迷子ですアルェー?
当時の宣教師も日本人にキリスト教に興味を持って貰うために、クリスマスには楽しげな祭りをしてみせたんじゃないかと思うんですが(面白そうなことには宗教抜きで食いつくから)、今のとこそれを示す資料を見たことがないので、当サイトの落乱世界におけるクリスマスの扱いはこんなもんです。
オニタケ忍者観については私見バリバリなので以下続きへ。
リアル室町時代は戦や天災・流行病・飢饉などで簡単に人が死ぬ世な上に、一人何役もしなければならないタイトな人数の忍者隊所属ゆえに危険な仕事に関わる確率が高いので、二人ともあまり自分の命に長期的展望を持たない刹那的な生き方をしていそうに思います。
落乱世界で名のあるキャラに人死にが出ることは有り得ないけど、オニタケ忍者の死亡フラグの多さはトップクラスだと思う。
ただ、「今」より先を見ない理由は違っていて、
悲観的な九丁目は今の先に奈落があるかも知れない(何しろ五流忍者だから明日をも知れない)ことから目を逸らすために、目先の細かいことに敢えて囚われている。
楽観的な玉三郎は今日の続きが明日になり、明日の続きが明後日になることを疑っていないから(何しろ一流忍者だから世は安泰)、先のことを深く考える必要はないと思っている。
そして、根拠のない自信がある玉三郎が隣にいることが、実は要所要所で九丁目の救いになっている。
………的な! 文字に起こすと恥ずかしい! ギャース!!!
当サイトではキャラ同士のカップリングをする予定は全くないんですが、この二人は生涯お互いがお互いにとって「隣にいて当たり前な相棒」で居続けそうな気がします。
……去年の大晦日ネタもこんなんだったな。