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ブログ連載を
#371-400までサイトに掲載しました。完結まで越年決定でっさ。
資料は引き続き「特別展 戦国の城と馬」(刊/(財)馬事文化財団 馬の博物館)より。
しまった貸出期間過ぎてる…。
【馬の積載能力】
・在来種の走力は19世紀末で40km/h程度。低速長距離走行向き。
・物資はおよそ100斤(60kg)、米穀類は150斤(90kg)が法令限度での目安(「延喜式」より)。米1俵=3斗で45kg程度。
・遠江国の蒲御厨(かばのみくりや)では、銭貨24貫(90kg)前後と規定。
※甲冑の重さ+弓・鉄砲・刀などの装備の重量+人の体重=100kg超くらい
※在来種の体重は300kg程度
※戦場用に調教した軍馬でも騎馬突撃は厳しそう
【税としての馬】
・郷村の税役として、馬1頭+陣夫ひとり/貫高40貫(1550年代の小田原北条氏領内)
・同上で、馬1頭+陣夫ひとり/俵高200俵。馬がいない時は1頭分につき人間ふたりを充てる(1580年代の徳川領内:「御庫本古文書纂」より)
・北条氏の軍役では兵士ひとり/5貫文、騎馬1頭/15貫文
※加藤村のような輸送力に長けた駄載馬を数多く持っていた郷村は、他の所より馬の負担数が多かった可能性もある?
※第二次大戦の時には日本郵船が会社所有の船を軍にがんがん持って行かれてばんばん沈められた
※ので日本郵船歴史博物館の展示物の恨み骨髄に入りっぷりが凄いらしい
【馬の値段】
・松平家忠が1592年7月に江戸で買った黒馬1頭は金1両(=銭2貫文くらい)と銭500文
・11月4日に上代(千葉県旭市)近くの鏑木へ馬を見に行く(馬の市がたっていた?)
・11月9日に籾俵200俵で河原毛の馬を買う
・翌年4月11日に兵粮80俵で栗毛馬を買う
・4月13日に45俵で青馬を買う
・5月26日に籾100俵と脇差で常陸産の栗毛馬を買う
※家忠は知行一万石の日記好きな大名
※本人の乗馬用のほか贈答用もあるので全体的にお値段高め
・1574年の武蔵国鉢形城(城主・北条氏邦)では、小身の一騎合の衆に「給恩の3分の1程度の馬に乗るように」と命令
※これを馬の底値と考えていいらしいものの給恩(年収? 月収?)がいくらなのか不明
【馬の産地】
・強い・大きい・早い良馬は奥羽地方産が定番だったそう
・馬の輸送は主に馬が自力でぽくぽく
・上洛する時は奥羽地方~北陸道~京都の北回りルート
・奥州伊達氏のドル箱
※北関東の「群馬」は律令制の頃の郡名「くるま(車)」の転訛なのであまり馬と関係ない
※でも2004年まで地方競馬があった名残で馬事公苑がある
【馬の呪い】
のろいではなくまじない
・忍城本丸と諏訪曲輪の間に作られた水堀から牡馬の頭骨が出土
・下顎部は欠損、頭骨は上下逆に置かれ、橋の橋脚材に打ち抜かれていた(橋がかけられたのは15世紀末~16世紀ごろ)
・江戸城でも1636年の外堀普請の際に設置された用水施設から頭骨が発見されている
・金沢城本丸西側に隣接する本丸附段の用水遺構(水溜か池、1621~1631年の間のもの)から、上下逆に置かれた馬の頭骨が出土
※「水場に馬の頭骨を上下逆さまにして設置」は数例あるものの、水にまつわる儀式の跡らしい他の意味は不詳
※忍城は「のぼうの城」で有名なあれです。水攻めに耐えたのは馬の加護だったりして
※コミックス54巻の「逆さまの呪力」の話とも繋がりがあるかも知れない
野間馬と道産子と触れ合えるという
馬の博物館(横浜市中区根岸台)にすごく行ってみたくなりました。来年は午年だし。
上でちらっと書いた
日本郵船歴史博物館も横浜市中区海岸通にあります。