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. . . . . . . . . . . . ぐだぐだ雑記兼備忘録です。
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です。
抜刀術の連続写真(拡大なしサムネイル表示のみ)。
兵助 「」ガタッ
勘右衛門 「落ち着け」

夏企画のネタ探しをしていた時に見かけて気になっていた奇談の出典みつけた。
西遊記続編巻之四より「豆腐怪」。原著も早稲田大学図書館のデータベースで見つけました が 読めないので現代語でメモ。

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薩州(薩摩国)の今泉という所に、ある朝、おびただしい数の豆腐が捨てられていた。この辻、あの門(かど)、いずれの町々の街道にも、あるいは十丁二十丁とうず高く捨ててあり、その数はおよそ数百丁に達した。始めのうちは、人々も己の門前だけのことと思って「誰のいたずらだろう」と呟いていたが、後には「ここにもかしこにもあり」と騒ぎ出したので、「怪(け)しからぬ事なり」と怪しみ訝り、狐狸が人を惑わすのではあるまいかと忌み恐れ、手を触れる人もなくなった。しかし、昼になり、日が暮れても、豆腐には何の変化も起こらなかった。
他に疑わしいこともないので、家々に持ち帰ってこれを食べたが何の祟りもない。
その後、近在の豆腐屋などにも訪ねてみたが、その日、特にたくさんの豆腐を売った店もなく、どこからこれらの豆腐が集まってきたのか、またどんな訳があって大量に捨てられていたのか、ついに知れなかった。

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豆腐がそこら中に大量に置き去りにされていたことより、しばらく観察してもおかしなところがないから じゃあ食べよう。と思う薩州人のほうが凄いわ。
と思って覚えていた話でした。さすが戦闘民族薩摩隼人。
創作資料に便利。

近代デジタルライブラリー

国文学研究資料館

東京大学史料編纂所

気象庁

Weblio


ついでに
オリンピック関連の記事を海外サイトで斜め読みしてみると、日本の報道といろいろな方向で視点が違っていてたまに面白いです。羽生選手が「アルティメットサバイバー」なんてヘビメタバンドのアルバムタイトルみたいな呼ばれ方をしてたり葛西選手が「ザ・レジェンド」と崇められてたり。
Yahooカナダのジェレミー・アボット選手の記事の「2回のオリンピック出場と4回の全米選手権優勝は伊達じゃない」と主張する本人発言の部分が、どんな性格の人なのか分からないながら頭の中でべらんめえ調に和訳されました。
記事の大意は「言いたい放題の批評家の批判を実際の演技でねじ伏せた」(…だと思う)ですが、SPで転倒した自分の画像をFS前に見て"It gave me a chuckle, a painful chuckle but a chuckle.(意訳:苦笑いだけどそれでもニヤッとしちゃった)"と言ってる辺り鋼のメンタルを持ってそう。

プラスお知らせ。
ブログ連載を#371-400までサイトに掲載しました。完結まで越年決定でっさ。


資料は引き続き「特別展 戦国の城と馬」(刊/(財)馬事文化財団 馬の博物館)より。
しまった貸出期間過ぎてる…。

【馬の積載能力】
・在来種の走力は19世紀末で40km/h程度。低速長距離走行向き。
・物資はおよそ100斤(60kg)、米穀類は150斤(90kg)が法令限度での目安(「延喜式」より)。米1俵=3斗で45kg程度。
・遠江国の蒲御厨(かばのみくりや)では、銭貨24貫(90kg)前後と規定。
※甲冑の重さ+弓・鉄砲・刀などの装備の重量+人の体重=100kg超くらい
※在来種の体重は300kg程度
※戦場用に調教した軍馬でも騎馬突撃は厳しそう

【税としての馬】
・郷村の税役として、馬1頭+陣夫ひとり/貫高40貫(1550年代の小田原北条氏領内)
・同上で、馬1頭+陣夫ひとり/俵高200俵。馬がいない時は1頭分につき人間ふたりを充てる(1580年代の徳川領内:「御庫本古文書纂」より)
・北条氏の軍役では兵士ひとり/5貫文、騎馬1頭/15貫文
※加藤村のような輸送力に長けた駄載馬を数多く持っていた郷村は、他の所より馬の負担数が多かった可能性もある?
※第二次大戦の時には日本郵船が会社所有の船を軍にがんがん持って行かれてばんばん沈められた
※ので日本郵船歴史博物館の展示物の恨み骨髄に入りっぷりが凄いらしい

【馬の値段】
・松平家忠が1592年7月に江戸で買った黒馬1頭は金1両(=銭2貫文くらい)と銭500文
・11月4日に上代(千葉県旭市)近くの鏑木へ馬を見に行く(馬の市がたっていた?)
・11月9日に籾俵200俵で河原毛の馬を買う
・翌年4月11日に兵粮80俵で栗毛馬を買う
・4月13日に45俵で青馬を買う
・5月26日に籾100俵と脇差で常陸産の栗毛馬を買う
※家忠は知行一万石の日記好きな大名
※本人の乗馬用のほか贈答用もあるので全体的にお値段高め
・1574年の武蔵国鉢形城(城主・北条氏邦)では、小身の一騎合の衆に「給恩の3分の1程度の馬に乗るように」と命令
※これを馬の底値と考えていいらしいものの給恩(年収? 月収?)がいくらなのか不明

【馬の産地】
・強い・大きい・早い良馬は奥羽地方産が定番だったそう
・馬の輸送は主に馬が自力でぽくぽく
・上洛する時は奥羽地方~北陸道~京都の北回りルート
・奥州伊達氏のドル箱
※北関東の「群馬」は律令制の頃の郡名「くるま(車)」の転訛なのであまり馬と関係ない
※でも2004年まで地方競馬があった名残で馬事公苑がある

【馬の呪い】
のろいではなくまじない
・忍城本丸と諏訪曲輪の間に作られた水堀から牡馬の頭骨が出土
・下顎部は欠損、頭骨は上下逆に置かれ、橋の橋脚材に打ち抜かれていた(橋がかけられたのは15世紀末~16世紀ごろ)
・江戸城でも1636年の外堀普請の際に設置された用水施設から頭骨が発見されている
・金沢城本丸西側に隣接する本丸附段の用水遺構(水溜か池、1621~1631年の間のもの)から、上下逆に置かれた馬の頭骨が出土
※「水場に馬の頭骨を上下逆さまにして設置」は数例あるものの、水にまつわる儀式の跡らしい他の意味は不詳
※忍城は「のぼうの城」で有名なあれです。水攻めに耐えたのは馬の加護だったりして
※コミックス54巻の「逆さまの呪力」の話とも繋がりがあるかも知れない

野間馬と道産子と触れ合えるという馬の博物館(横浜市中区根岸台)にすごく行ってみたくなりました。来年は午年だし。
上でちらっと書いた日本郵船歴史博物館も横浜市中区海岸通にあります。

図書館で借りた「(財)馬事文化財団 馬の博物館 特別展『戦国の城と馬』」リーフレットから抜き書き。

【在来種の毛色の種類】

鹿毛:在来種に最も多い。赤褐色系で、赤に近い色から黒褐色まで。黒みが増すにつれて黒鹿毛・青鹿毛になる。たてがみ・尾・肢の下部が黒い。

栗毛:全体的に黄褐色系。たてがみ・尾は濃い黄褐色~白。色調により栃栗毛・黒栗毛・白栗毛などに分かれる。

青毛:体毛すべてがつやのある黒色。日葡辞書では「両耳の内側に白毛があるものが青毛、ないものが黒毛」とされている。

芦毛:原毛色は鹿毛・栗毛・青毛などで白色毛が混ざっており、年齢が進むにつれて白色の度合いが強くなる。原毛色とあまり変わらないものから純白まで個体差がある。交雑の多少や斑形部分により白芦毛・黒芦毛・連銭芦毛などと呼ばれる。

河原毛:川原毛・瓦毛とも。全体的に赤みを帯びた黄色に近い白色(朽葉色)で、たてがみと尾だけ黒に近い。背中の黒い筋(鰻線)が目立つ。

鴇毛:つきげ。月毛とも。トキの羽色を連想させる多少赤みを帯びた芦毛。交雑により鴾毛粕毛・鴾毛雲雀・鴾毛駮などがある。

糟毛:かすげ。粕毛とも。原毛色が鹿毛・栗毛・青毛などで、首・胴体や四肢の上部に白色の毛が混ざる。芦毛と異なり白色の度合いが増すことはない。原毛色により、鹿糟毛・栗糟毛・青糟毛などがある。

雲雀毛:原毛色は鹿毛・栗毛・青毛などで、たてがみ・鰻線・尾の黒色が強く現れている。交雑により栗毛雲雀・青雲雀・鹿毛雲雀などがある。

駮毛:ぶちげ。白色毛が鹿毛・栗毛・青毛などと全面的に混ざるのではなく、斑状になるもの。交雑により栗毛駮・芦毛駮・河原駮などがいるとされるものの、現存の在来馬に駮毛はいない。

※日本軽種馬登録協会で決められているサラブレッドの毛色は、欧州馬の分類を参考にした鹿毛・黒鹿毛・青鹿毛・青毛・栗毛・栃栗毛・芦毛・白毛の8種。

※能一傑号と異界妖号は駮毛で、斑点が小さい能高速号は微妙な駮毛?
虎若父の砲右鯔号は青毛っぽい。ぽううぼら→ぽーぼら→pólvora=火薬(ポルトガル語)説はほんとかな。
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